大判例

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大阪地方裁判所 昭和51年(ワ)4509号 判決

原告

金村順令こと金順令

被告

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金四〇〇万円及びこれに対する昭和四八年七月二六日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告の申立

(本案前)

1 本件訴のうち傷害特約にかかる死亡保険金の請求に関する部分を却下する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(本案)

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  訴外金村昇作こと金鳳河は、昭和四六年七月一四日、被告との間に、同訴外人を被保険者(以下、本件被保険者という。)、被告(代表機関郵政省簡易保険局長)を保険者、原告を保険金受取人とする左記の簡易生命保険契約(以下、本件契約という。)を締結した。

(一) 保険証書記号番号 四一 二六 一二五五三二一号

(二) 保険種類 一〇年払込一五年満期養老保険

(三) 保険金額 二〇〇万円

(四) 特約 傷害特約

(五) 保険料額 一万五四〇〇円

(六) 特約保険料額 四〇〇円

2  本件被保険者は、昭和四八年五月一六日午後九時三〇分頃、大阪市生野区林寺四の一一の二四先路上で、訴外大西康夫運転の普通乗用車にはねられ(以下、本件交通事故という。)、直ちに生野優生病院に入院したが、同月二六日死亡した。

3  簡易生命保険約款(以下、単に約款という。)一六〇条によれば、特約がついている場合、被保険者が保険期間中に不慮の事故等により傷害を受け、その傷害を直接の原因として九〇日以内に死亡した場合には、保険金受取人は、特約保険金額(二〇〇万円)と同一の額の死亡保険金の支払を受ける権利を有する。

4  原告は、昭和四八年七月二五日、被告に対し、四〇〇万円の保険金の支払を請求したが、被告がこれを支払わないので、昭和四九年五月二三日、簡易生命保険郵便年金審査会に審査の申立をしたところ、同年一一月二九日、「申立人の申立は相立たない。」旨の裁決がなされ、同裁決書はその頃原告に交付された。

5  よつて、原告は、被告に対し、保険金四〇〇万円とこれに対する昭和四八年七月二五日(支払請求の日)の翌日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の本案前の主張

簡易生命保険法(昭和五〇年法律第四二号による改正前のもの。以下、単に法という。)五五条は、保険金支払請求に関して審査請求前置主義をとつているところ、本件訴のうち傷害特約にかかる死亡保険金の請求に関する部分については、その支払請求権の存否につき、適法な審査裁決を経ていない。

すなわち、本件契約は、保険金二〇〇万円の基本契約と、これに付加された保険金額二〇〇万円の傷害特約とで構成されているところ、原告は、右基本契約にかかる保険金二〇〇万円について支払請求をしたので、京都地方簡易保険局長は、原告に対し、昭和四八年一二月一一日付で右基本契約を解除する旨通知した。原告は、審査申立をしたが、その趣旨は、「被申立人が申立人に対し昭和四八年一二月一〇日になした簡易生命保険契約解除はこれを取消すとの裁決を求める。」というにあり、これに対する裁決も、右申立の限度でのみなされたにすぎない。基本契約と傷害特約は、契約の構造を異にしており、(1)基本契約においては、保険契約者及び被保険者に告知義務を課し、同義務違反の事実があれば国は契約を解除することができ、右解除によつて基本契約は将来に向つてその効力を失うが、その場合、保険金受取人は、告知義務違反にかかる事実と被保険者の死亡との間に全然因果関係をうかがう余地のない場合に限つて保険金を請求することができることになつている(法二一条、二二条、約款一〇四条、一〇五条)のに対し、(2)傷害特約においては、右のような告知義務は課しておらず、基本契約が解除されればその時点から将来に向つて右特約も効力を失うことになるけれども、本件被保険者の傷害は基本契約の解除以前に生じたものであるから、本件傷害特約にかかる死亡保険金請求権の存否は、右解除の存否とは全く関係なく、専ら不慮の事故等による傷害が死亡の直接原因か否かのみによつて決せられることになるのである(法一六条の三、約款一六〇条、一七七条一号)。このように、基本契約と傷害特約とでは因果関係の捉え方が全く異なるから、本件基本契約にかかる死亡保険金と本件傷害特約にかかる保険金のうちの死亡保険金とでは、その請求権の存否の審査においては、証拠の評価、事実に対する判断の仕方は全然別異となるのである。こうした見地からすれば、本件傷害特約にかかる死亡保険金については、審査申立はなく、裁決もされていないことは、明らかである。結局、原告は、本件傷害特約にかかる死亡保険金については、その支払請求も審査申立もしていないのである。

なお、本件は、行政事件訴訟法八条二項三号を準用すべき場合にはあたらないというべきである。

三  被告の本案前の主張に対する原告の反論

原告は、基本契約にかかる保険金のみならず、傷害特約にかかる死亡保険金の支払をも請求したものであり、このことは、請求にあたり、必要書類として交通事故証明書等をも提出していることからも明白である。そもそも、法の定める審査前置主義は、保険契約者や保険金受取人の利益を保険するために設けられた制度であるから、その遵守の有無はゆるやかに解すべきところ、傷害特約の効力は基本契約の解除によつて失われるのであり(約款一七七条)、原告の審査申立書、被告の弁明書、裁決理由の各記載から、ことを実質的にみれば、傷害特約にかかる死亡保険金請求権の要件事実にもかかわる本件交通事故と本件被保険者の死亡との間の因果関係が審査の対象となつていることは明らかである。また、審査申立書に傷害特約が明記されていない点を形式的に捉えるとしても、本件は行政事件訴訟法八条二項三号の準用を考慮してしかるべき場合であり、いずれにしても、本件傷害特約にかかる死亡保険金支払請求権の存否については、審査裁決を経ているものというべきである。

四  請求原因に対する被告の認否

1  請求原因1及び3の事実は認める。

2  同2については、死亡と本件交通事故との間の因果関係を争い、その余の事実は認める。

3  同4については、原告が傷害特約にかかる二〇〇万円の支払請求をしこれに関して審査申立、裁決がなされたとの点は否認し、その余の事実は認める。

五  被告の主張

1  本件被保険者は、昭和四五年七月七日に卒中発作があり、同日から同月二八日まで入院し、その後、昭和四八年五月一四日まで、脳溢血後遺症及び糖尿病の診断のもとに、通院加療を受けていたところ、本件交通事故に遭い、後頭部、腰部、右大腿部等を打撲して入院加療中死亡したものであるが、死亡後解剖したところ、右交通事故による外因的侵襲はいずれも直接死因となり得ない程度のものであり、基礎疾患(少なくとも数年前後経過している。)として既に本人に存在していた高血圧性心疾患が急死の原因であることが明らかとなつた(急性心不全)。

2  本件被保険者は、右のとおり、卒中発作時以降、脳溢血後遺症及び糖尿病の診断のもとに継続して医師の治療を受けており、本件保険契約の申込当時、これらの疾病について十分な認識を有していたにもかかわらず、その旨の告知をしていなかつたものであり、その不告知は、本件被保険者の悪意又は重過失によるものである。原告から保険金支払請求を受けたのち、京都地方簡易保険局において調査したところ、右の事実が判明したので、被告は、原告に対し、右告知義務違反を理由として、法二一条、二二条、約款一〇四条、一〇五条の規定により、昭和四八年一二月一一日付で基本契約を解除し、これにかかる保険金二〇〇万円の支払を拒絶した(本件被保険者の死亡の原因がその不告知にかかる疾病に基づかないものとはいいえないことは、明らかである。)。したがつて、被告には、原告に対し、基本契約にかかる保険金二〇〇万円を支払う義務はない。

3  傷害特約については、約款上告知義務を課しておらず、基本契約の解除に伴い将来に向つてその効力を失うにとどまる(約款一七七条一号)ので、傷害特約にかかる死亡保険金については、右解除の有無に関係なく、専ら法一六条の三及び約款一六〇条に定める「直接の因果関係」の有無によつてその支払が決せられることになるのであるが、前述のように、本件被保険者の死因は基礎疾患として既に存在していた高血圧性心疾患を原因とする急性心不全であり、本件交通事故とその死亡との間に直接の因果関係はないから、被告には、原告に対し、傷害特約にかかる死亡保険金二〇〇万円を支払う義務はない。

4  原告の請求が理由ありとされる場合の仮定抗弁

(一) 被告は、原告に対し、本件基本契約の解除に伴い、法三九条一項、約款一〇七条一項、同別表第八により、二二万四二〇〇円の還付金を支払うべきところ、昭和四八年三月分ないし五月分の保険料合計四万七四〇〇円が未納であつたので、法五一条、約款二三条により、これを控除した一七万六八〇〇円を支払つた。解除が無効であれば、右未納保険料、還付金は、原告から被告に支払、返還すべきものである。そこで被告は、原告に対し、昭和五四年八月九日の口頭弁論期日において、右四万七四〇〇円の未納保険料の支払請求権及び右一七万六八〇〇円の還付金返還請求権合計二二万四二〇〇円の請求権を自動債権として、原告の基本契約にかかる本件債権と対当額において相殺する旨の意思表示をした。

(二) 被告は、原告に対し、入院保険金として二万二〇〇〇円を支払つているところ、右金額は、傷害特約にかかる死亡保険金の支払にあたつては、約款一六四条により、これを差引くべきものである。

六  被告の主張に対する原告の認否及び反論

1  五の2について

(一) 本件被保険者は、本件契約締結前、生野郵便局員の勧誘により、昭和四〇年一二月の二〇日と二一日に、二件の簡易生命保険契約を締結しており(以下、二口の別契約という。)、本件契約も、その保険料の集金に来た郵便局員にもう一口入つたらどうかと勧められて申込んだものであるが、その際、その郵便局員は、勝手に保険契約申込書の必要事項を記入し、本件被保険者の記名押印をしていつたものであつて、日本語の読み書きに慣れない本件被保険者は、質問表を見せられたことも、質問事項につき発問されたこともないし、まして、もし嘘のことを言うと将来保険契約を解除されることがあるなどと告げられたことはないのである。結局、(1)本件被保険者は質問表に掲げられた質問事項の質問を受けていないから、被告主張の不告知の事実はなく、(2)被告は、過失によつてその不告知にかかる事実を知らなかつたものであるから、いずれにしても被告は基本契約を解除することができず(法二一条本文、但書)、また、(3)信義則上も右解除は許されない(なお、解除の効力の判断にあたつては、簡易生命保険制度の趣旨目的、質問表記載事項の発問等が形式的に流れている締約時の実情等を考慮すべきである。)。

(二) 本件交通事故は、本件被保険者がタクシーに右大腿後部を衝突されて約一二メートルも飛ばされ、本来即死に近いシヨツクを受けたというものであり、本件被保険者は、本件交通事故を直接の原因として死亡したものであつて、被告主張の不告知にかかる事実を原因として死亡したものではないから、被告は、基本契約にかかる保険金の支払を拒むことは許されない(法二二条二項但書)。

2  五の3について

本件被保険者は、本件交通事故を直接の原因として死亡したものである。

3  五の4について

同(一)の、保険料四万七四〇〇円が未納であること、還付金一七万六八〇〇円の支払があつたこと、及び同(二)の入院保険金二万二〇〇〇円が支払われたこと、は認める。

第三証拠〔略〕

理由

第一  請求原因1ないし3の事実(本件契約の締結、本件交通事故の発生及び約款の存在)は、同2の、本件交通事故と本件被保険者の死亡との因果関係の存否の点を除き、当事者間に争いがない。

第二  本案前の主張に対する判断

一  原告が基本契約にかかる二〇〇万円の支払請求をし、これに関して審査申立、裁決がなされたことについては、当事者間に争いがない。

成立に争いのない乙第一、第二、第八号証、第一四ないし第二五号証、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第三号証の一、証人早川祐継の証言により真正に成立したものと認められる乙第三号証の二、右乙第二号証、第三号証の一及び弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第三号証の三、四、証人広田忠臣の証言により真正に成立したものと認められる乙第三号証の六、原告作成部分のその氏名については、これがその署名(但し代書されたもの)によるものであることは当事者間に争いがないので、真正に成立したものと推定され(また、同人名下の印影がその印章によるものである点についても当事者間に争いがなく、右印影は同人の意思に基づいて顕出されたものと推定される。)、その余の作成部分については、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第一二、第一三号証並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  原告は、昭和四八年七月二五日、本件契約に基づく保険金支払請求のため、大阪府生野郵便局に、保険金支払請求書二通その他の必要書類を提出した。

(一) 右保険金支払請求書の一通(乙第一二号証)の請求事由欄には、一たん死亡の記載がなされ、次いで、これを二本の線を引いて消したうえ、解除の記載がなされている。これは、基本契約にかかる死亡保険金支払請求書として提出されたものであるが、のちに基本契約の解除に伴い、右請求事由欄の記載を書き改めたうえ、便宜、還付金支払報告書に換用されたものである。

(二) 同請求書の他の一通(乙第一三号証)の、請求事由欄には、入院保険金の記載がなされている(即日原告に交付された乙第二三号証保険証書領収帳受領証の記載からすれば、右記載が請求の日になされたものであることは明らかである。)が、なお、備考欄には、保険金支払は京都で災害死調査中などの記載がなされている。

(三) 右提出書類のうちには、死体検案書(乙第一八号証)及び交通事故証明書(乙第二〇号証)が含まれている。

2  基本契約と傷害特約の構造は、被告がその本案前の主張(事実第二の二)において述べているとおりである。

3  原告の審査申立書(乙第一号証)には、「被申立人は、(申立人の保険金支払)請求に対し昭和四八年一二月一〇日保険契約者及び被保険者金村昇作の契約申込の際における簡易生命保険法第二一条第一項に規定する告知義務不履行を理由に契約を解除したから保険金を支払わない旨通知してきた。」との記載がある(それ以上に、保険局長が、原告に対する本件基本契約の解除通知にあたつて、傷害特約につき、言及するところがあつたか否かについては、これを確定するに足りる証拠はない。)。

4  原告は、昭和四九年五月二三日、康天圭を代理人として、審査申立をした。その趣旨は、「被申立人が申立人に対し昭和四八年一二月一〇日になした簡易生命保険契約解除はこれを取消す。」との裁決を求めるものであり、それは、本件被保険者は、病気の経過は良好で、本件交通事故当日まで非常に元気で作業に従事しており、その死亡に関しては自動車損害賠償責任保険金五〇〇万円余が支払われていること等を理由に、契約解除の過誤、違法を主張するものである。

5  これに対し、郵政省簡易保険局長は、本件契約が傷害特約付きであることを前提とし、本件保険契約申込書、被保険者症状調査票、死体検案書等を提出して、本件被保険者は、昭和四五年七月七日の卒中発作時以降、脳溢血後遺症及び糖尿病の診断のもとに継続して医師の治療を受けていたものであり、本件保険契約申込当時、これらの疾病を認識しながら告知しなかつた本件被保険者には告知義務違反がある、また、本件被保険者は、既存の基礎疾患である高血圧性心疾患を原因とする急性心不全により死亡したものであつて、本件交通事故による受傷は、直接死因となりえない程度のものであるから、その死亡の原因がその不告知にかかる疾病に基づかないものとすることはできない、と弁明した。

6  簡易生命保険郵便年金審査会(以下、審査会という。)は、昭和四九年一一月二九日、申立人の申立は相立たない旨の裁決をした。それは、原告の右申立を、係争の保険契約の解除を取消して保険金の支払をなすべき旨の裁決を求めるものと解し、確定した事実関係(そこでは、本件被保険者は、本件交通事故に遭つて後頭部を打撲し、入院治療中に急に呼吸困難に陥り死亡したものであるが、交通災害による外因的侵襲はいずれも直接死因となりえない程度のものである、との事実が認定されている。)に基づき、本件被保険者には告知義務違反があつたから、解除は正当である、同人は、高血圧性心疾患を原因とする急性心不全により死亡したものと認められ、仮に被保険者の交通事故による受傷が同人の疾病の経過に影響を及ぼしたとしても、その死亡の原因がその不告知にかかる疾病に基づかないものと解することはできないから、法二二条二項但し書の場合に該当しない、というのである。

以上の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

二  右認定事実によれば、原告の審査申立、これに対する審査会の裁決はいずれも基本契約をめぐつてなされたものというべきことになるから、本件訴のうち傷害特約にかかる死亡保険金の請求に関する部分は、法五五条所定の審査会の裁決を経ていないことになる。

三  しかしながら、法の定める審査前置の制度は、法一条の掲げる簡易生命保険制度の目的、法五五条の規定から明らかな、審査会の権限は契約上の権利義務に関する事項の審査をすることであること、審査申立に期間の制限がないこと、申立書提出者は、提出後六か月を経過しても裁決がないときは、民事訴訟を提起することができ、その場合、審査会は、当該審査の申立について審査をしないこととされていること、から考えれば、特に審査会による再審査の機会を留保する必要があつて定められたものではなく、もつぱら、保険契約者及び保険金受取人保護の見地から、簡便な手続による、費用を要することのない救済手段を設けたものと解されるのであつて、法には例外を定めた規定はないけれども、その故に、右の制度を設けた趣旨に反するような場合にまで常に必ず審査を経なければ民事訴訟の提起が許されないものとは解しがたいところである。

本件についてこれをみるに、保険金請求のような場合には、可能な範囲で最大限度の金額を請求するのが通常であると考えられるのであつて、前記認定一の1ないし4の事実からすれば、原告としては、傷害特約にかかる保険金の支払請求をする趣旨で乙第一三号証を提出したものであり(前掲乙第一八、第二〇号証は、不十分ながら傷害特約にかかる死亡保険金の支払請求に必要な書類ともみうるものであり、また、前記乙第一三号証の備考欄の記載及び乙第一二号証が適宜換用されていることからすれば、乙第一三号証は、その受理にあたり、書類上一応は当面確実に支払を求めうる入院保険金支払請求の限度に整理されたけれども、その後の調査の結果次第で換用される含みであつたものと推認される。)、したがつてまた、右傷害特約上の権利に関しても審査を求める心算で審査申立をしたものであると推認されるところ、前記の基本契約と傷害特約の構造にかんがみれば、契約内容に精通しているわけではない通常の保険金受取人としては、前記認定にあらわれたような事情のもとにおいて、傷害特約にかかる死亡保険金を訴求する前提としても基本契約の解除を争えば足りると考えたとしても、あながち無理からぬところであると思われるし、他方、基本契約と傷害特約とでは因果関係の捉え方が異なるとはいえ、前記認定一の4ないし6の事実からすれば、審査手続では、本件契約が傷害特約付きであることを前提として、本件交通事故と本件被保険者の死亡との間の因果関係が一貫して争われているところ、裁決は、その理由中で、傷害特約にかかる死亡保険金の支払要件の存在を否定したものともとれる認定判断を示しているのであつて、前述した法五五条の審査前置の制度の趣旨にかんがみれば、右のような事情の存する本件においては、行政事件訴訟法八条二項三号の規定の趣旨を類推して、原告は、傷害特約にかかる死亡保険金の支払請求につき、審査会の審査を経ないで訴を提起することができるものと解するのが相当である。

四  以上の次第で、被告の本案前の主張は理由がない。

第三  本案についての判断

一  基本契約に基づく保険金請求について

1  前記第一で認定した事実によれば、保険金受取人である原告は、被告に対する基本契約に基づく保険金請求権を取得したことになる。

2  そこで、右基本契約は本件被保険者の告知義務違反により解除されたものであり、本件被保険者の死亡の原因がその不告知にかかる疾病に基づかないものとはいえないから、基本契約にかかる保険金の支払義務はないとの被告の主張について判断する。

前掲乙第一号証、第三号証の二ないし四及び六、第八、第一八号証、成立に争いのない甲第三ないし第六号証、第八号証、乙第四、第一一号証、証人坂野昭の証言により真正に成立したものと認められる甲第一、第二号証、第七号証、証人金村哲こと金哲(後記措信しない部分を除く。)、同坂野昭、同早川祐継、同広田忠臣の各証言並びに弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

(一) 本件契約は、大阪府生野郵便局保険課員郵政事務官早川祐継(以下、早川という。)の本件被保険者に対する勧誘によつて成立したものである。早川は、かねてから、本件被保険者の既存の契約にかかる保険料の集金等の機会に、同人に新規加入を勧めていたところ、昭和四六年七月一四日大阪市生野区巽西足代町一七九番地所在の同人の事務所において本件契約の申込みがなされたので、即日、早川が、本件被保険者の指示に従い、同人に代つて保険契約申込書用紙の各欄(住所、契約者、被保険者、被保険者の生年月日、保険金受取人、契約年齢、契約申込年月日、保険種類、保険金額、払込方法、保険料額、特約、特約保険料額、払込保険料額等の欄)に所要事項を記入し、被保険者の印を代捺して、申込書(乙第三号証の二)を作成した。

(二) 右申込書作成にあたつて、早川は、被保険者が約款二九条により回答を義務付けられている、前記申込書裏面記載の被保険者の健康状態に関する質問表(その上部には、左側に、赤字で、事実をかくしたり、うそを書いたりすると、のちに契約が解除されて保険金が支払われないことがある旨を記載し、右側に、保険契約者、被保険者が承認印を押捺する欄が設けられている。質問事項の具体的項目は、1現在における被保険者の罹患の有無及び身体的障害の有無、2最近三年内に高血圧、卒中―脳溢血・その他―がん等の病気に罹つたことがあるか、また、最近三年内に心臓、腎臓、肝臓機能の障害又は血圧、眼底の異常を注意されたことがあるか、というのであり、これに対して有無いずれかに丸印をつける四つの回答欄が設けられている。)にも、表面と同様に、自ら回答欄に四つの丸印をつけ、二つの承認印欄に金村の印を押捺した。それは、早川において、各質問事項毎に、その意味を十分理解していることを確認しながら、逐一本件被保険者に読み聞かせて同人に回答を求め、同人から、「わしは達者や、今、車で帰つてきたところや。」など、各項目について健康で異常はない旨回答がなされたので、同人に代つてその趣旨の回答を質問表に記入し、これを同人に見せて確認してもらつたうえ、その印を代捺したものである。

なお、その際、早川は本件被保険者に対し、右質問に悪意又は重大な過失によつて事実を告けず、又は真実でないことを告げたときは、法二一条、二二条、約款一〇四条、一〇五条により、基本契約を解除されることがあり、保険金が支払われない場合のあることを特に説明してはいないけれども、本件被保険者は、日本人と変りがない程度に日本語の読み書きができたものであるところ、前記のとおり、早川がした申込書の裏面(そこには、前述のとおりの記載がある。)の記入を確認していること、早川は、本件契約締結前、右規定を要約、解説した記載のあるパンフレツト(乙第四号証)を用いて、本件契約を説明して勧誘し、これを本件被保険者に手渡していること、及び、本件被保険者は本件契約申込前既に三口の簡易生命保険に加入していることから、同人は、告知義務に違反した場合の効果については、十分に認識していたものと推認される。

(三) ところで、本件被保険者は、昭和四五年五月頃から高血圧症の徴候があり、同年七月七日卒中発作により左半身不随、歩行困難の状態となり、言語の障害も伴つて、即日大阪市東成区大今里所在の大和病院に入院し、同月二八日まで同病院において薬剤投与等の治療を受け、以後本件交通事故直前まで、脳溢血後遺症及び糖尿病の治療のため通院を続けていた。そして、その後の経過は、昭和四八年に入つてからは、自ら自動車を運転して通院することができる程度までに左半身の運動機能が回復し、言語及び歩行障害も相当程度回復して、良好であり、本件交通事故の二日後には大韓民国へ旅行する予定であつた。

(四) 右のような状態にあつた本件被保険者は、本件交通事故により、一〇メートル余りはねとばされたあと頭から路上に落ちて、傷害を受け、直ちに生野優生病院に入院し、頭部外傷Ⅱ型、腰椎捻挫、両股関節打撲傷、右大腿打撲傷の病名で安静加療二週間と診断されて治療を受けたが、受傷時一過性の意識障害があり、右後頭部に鶏卵大の血腫形成を認められたものの、レントゲン撮影の結果では骨に異常はなく、その後意識も清明となり、当初懸念された頭蓋内及び内臓の損傷に基づく病変もなく、頭痛、腰痛、臀部痛を訴えてはいたものの、順調な経路をたどつていたところ、入院一一日目の昭和四八年五月二六日午前五時二五分、突発的に呼吸困難をきたし、急死した。

このように順調な経過をたどつていた患者が急死することは、臨床的にあまり例のないところから、担当医師坂野昭は、その死因を解明するため、大阪府死因調査事務所にその解剖を依頼した。

即日、同事務所監察医広田忠臣の執刀により、解剖が行なわれた。その結果、本件被保険者の本件交通事故による後頭部、腰椎部、右大腿部等の各打撲傷は、いずれも軽度で、鈍体的外力による諸臓器への傷害の痕跡は全く認められなかつたが、本件被保険者の心臓は、同人の健康時の大きさ(その手拳大)の一・五ないし二倍に肥大し、左心室心筋にも単純性肥大があり、心筋内消耗性色素沈着は中等度を示し、大動脈起始部に脂肪斑がやや著明であり、大動脈及び脳底動脈には中等度の硬化性変化がみられ、諸臓器の細動脈壁が肥厚硬化しており、これらのことから、同人の心臓の老化現象(年齢に比して少なくとも一〇年以上は老化している。)が認められ、高血圧症、心筋症の症状が顕著と認められた。また、肝臓には慢性肝炎を示す脂肪変性が中程度認められた。なお、心臓内に流動血液が多量に残されていることから、心臓の停止が急であつたことが明らかとなつた。広田監察医は、以上の諸点に基づき、病理学的見地から、本件被保険者の死因を、本件交通事故そのものの傷害は直接に死因につながるものとは考えられないから、これによる外因死ではなく、その前からの高血圧症と長期間にわたる飲酒による循環器系病変(主に、心肥大、脂肪心、心筋変性等)として既に存在していた高血圧性心症患に基因する急性心不全による病死と判断したが、なお、本件交通事故による身体条件(精神的驚愕、不安、疼痛、歩行困難、就床等)が心機能に対し間接的ではあるが障害的に作用し、高血圧性心疾患をやや助長するか、心不全の発生を早める等の悪影響が幾分かあつたろうと推認される、としている。

なお、坂野昭医師は、臨床医学的見地から、本件被保険者の直接の死因が心肥大、脂肪心、心筋変性等の基礎疾患に基づく急性心不全であるとしても、本件交通事故の際の外傷によるいわゆるシヨツクが誘引となつてそのような転帰をとらせたものであることは十分推察されると述べているが、なお、それも、本件交通事故における程度のものであれば、右のような基礎疾患がなければ、本件被保険者に死亡という結果までもたらすことはなかつたと思う旨、述べている。(その他、本件被保険者の死亡の原因が、高血圧性心疾患に基づかないものであることを認めるに足りる証拠はない。)

(五) 被告は、原告に対し、昭和四八年一二月一〇日、本件被保険者の契約申込の際における法二一条一項所定の告知義務の不履行を理由に、基本契約を解除する旨の意思表示をした。

証人金村哲こと金哲の供述中右認定に反する部分は措信することができず、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

右認定した事実によると、本件被保険者は、基本契約締結の約一年前に高血圧症による卒中発作で倒れて二〇日余り入院し、その後も脳溢血後遺症及び糖尿病の治療のため通院を継続しており、したがつて、これらの疾病につき十分の認識があつたものと認められるにもかかわらず、本件契約申込みにあたつて早川から前記質問表の各質問事項について回答を求められた際、その事実を告げなかつたものであつて、その不告知は、本件被保険者の悪意若しくは重大な過失によるものであると認められるので、同人は告知義務に違反したものといわざるをえないし、また、その死亡の原因は、高血圧性心疾患に基因する急性心不全であつて、その不告知にかかる疾病に基づかないものということはできない。また、被告が、過失によつて右不告知にかかる事実を知らなかつたものとも認められないし、その他、被告の基本契約の解除が許されないといわなければならない事情は見当らない。

したがつて、被告の、法二一条、二二条、約款一〇四条、一〇五条の規定による基本契約の解除、基本契約にかかる保険金支払義務不存在の主張は、理由がある。

3  以上の次第で、原告の基本契約にかかる保険金の支払請求は、その余の点につき判断するまでもなく、失当である。

二  傷害特約に基づく死亡保険金請求について

1  前記第一で認定した事実及び既に述べてきたところからすれば、原告の傷害特約にかかる死亡保険金請求権の有無は、本件被保険者が、本件交通事故によつて受けた傷害を法一六条の三及び約款一六〇条所定の「直接の原因」として死亡したものであるか否かによつて定まることになる。

2  ところで、法一六条の三及び約款一六〇条所定の「直接の原因」の意義は、必ずしも明らかではないけれども、簡易生命保険の傷害特約は、生命保険契約に付帯して傷害保険を提供するものであり、右各条項が、所定の保険金支払をする場合を、傷害と損害との間に特に「直接の」因果関係の存在する場合に限定しているのは、その趣旨を明らかにするところにあるものと解されるのであつて、このような点を考慮すれば、右各条項にいう傷害を「直接の原因」とする死亡とは、当該傷害そのものが、死亡の主たる原因である場合、少なくとも、併存する他の死亡の原因と比較してより有力な原因であると認められる場合をいうものと解するのが相当である。

3  本件についてこれをみるに、前掲甲第六号証、証人広田忠臣の証言によると、一般論として、急性心不全は、高血圧症などの心疾患の存する心臓に、多くの場合、精神的若しくは肉体的なストレスが加わつて、当該ストレスに耐え得ない心臓がその機能を麻痺させる状態をいうが、本件被保険者に作用したストレスが何であつたかは、解剖の結果によつても明らかではないことが認められるところ、さきに一の2で認定した事実によれば、本件交通事故による傷害が何らかの形で本件被保険者の心不全を誘発するストレスとして働いたことは推認されるとしても、少なくとも、それが既に被保険者に存した高血圧性心疾患と比較してより有力な原因であつたと認めることはできない(右の認定判断を左右するに足りる証拠はない。)

4  以上、原告の傷害特約にかかる死亡保険金の支払請求は、その余の点につき判断するまでもなく、失当である。

第三  結論

よつて、原告の本訴請求は、すべて理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判断する。

(裁判官 富澤達 本田恭一 大西良孝)

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